昨年あたりから、ネット界隈で目に付くようになって、私の琴線に響いている言葉に「キュレータ」「キュレーション」がある。
キュレーターというのは、博物館、美術館に所属し、その専門知識をもって、展覧会などでのテーマを考え、テーマにあったコンテキストにのっとって、展示物や作品の選択をおこない、適切な配置し、分かりやすい解説などを添えるお仕事をする人を呼ぶ(かなり端折っています詳しくはWiki参照)。
それが転じて、玉石混合で溢れかえっている情報の中から、テーマにそった情報をチョイスし、コンテキストとして意味のある形で分かりやすく見せてくれる人とかサービスを指すようになってきた。
Twitterでも有名なジャーナリストの佐々木俊尚さんも「この膨大な情報の中から、いかに的確に情報を選択し、それによって対象物の全容を浮かび上がらせるかということ。だから大切なのはジャーナリストの視座を磨いていくことだ。」といって「キュレーションジャーナリズム」を語られている。
なぜ、「キュレーター」という言葉が琴線にふれたか?
別にITジャーナリストになりたいという事でなくて、それが以前から私がやりたい、創りたいといっている「コンテンツ・シンクロナイザー」や「コンテンツ・エバリュエーター」の機能と同意義あるいは進化系の言葉だと思ったから。
ネット上に溢れている様々なコンテンツを、特定のテーマや嗜好に沿って意識的にあるいは無意識的に評価し、選択し、コンテキストをもたせて提示する。そんな仕組みとかサービス。
前出の佐々木さんは、個々人が専門知識を蓄え向上に努めキュレーターとしての視座を磨いていくことを説いていて、私自身もそうありたいと考えているけど、「人」ではなくてこれをシステムやサービスの形で実現したい。
Twitterをやるようになってから、さらにこの気持ちは強くなってきている。
Twitterは現在個人で考えられる中では最高の情報収集サービスだと思う。
特定のテーマに添った人たちをフォローするだけで、次々と情報やコンテンツが入手できる。
でも、ノイズも多い。1000人もフォローするとタイムラインはもの凄い勢いで流れ始め、とても全部を見ることはできない。
まぁ、重要なものは繰り返しツイートまたリツイートされるので毎日空いた時間でチェックしていれば見落とすことはほぼないのだけれど、もう少し効率的にモレがないようにコンテンツを見たいと思う。
ちょっと、長くなってきて、まとまらなくなってきたので、今日はここまで。
次回、「重要なのは何をテーマとするかだ」
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